2009年06月02日
瀧 廉太郎の生涯
1879年(明治12年)東京生まれ。瀧家は江戸時代、日出藩(現・大分県日出町)の家老職をつとめた上級武士の家柄である。 父・吉弘は大蔵省に勤務後内務省に転じ大久保利通、伊藤博文らのもとで中央の官吏として務めた後地方官として神奈川県、富山県富山市、大分県竹田市等を移り住んだため、瀧も生後間もなくから各地を回ることとなった。1894年(明治27年)に15歳で東京音楽学校(現・東京藝術大学)に入学する。1898年に本科を卒業し、研究科に進む。こうして彼は作曲とピアノ演奏でめきめきと才能を伸ばしていった。1900年10月7日には、東京にあった聖公会博愛教会で洗礼を受けてクリスチャンになった。10月28日に堅信礼を受けた。
明治時代の前半に多くの翻訳唱歌ができたが、日本語訳詞を“無理にはめこんだ”ぎこちない歌が多く、日本人作曲家によるオリジナルの歌を望む声が高まっていた。瀧は最も早く、その要望に応えた作曲家と言えるだろう。彼の代表作である「荒城の月」は、「箱根八里」と並んで文部省編纂の「中学唱歌」に掲載された。また、人気の高い曲のひとつである「花」は1900年(明治33年)8月に作曲された、4曲からなる組曲『四季』の第1曲である。「お正月」、「鳩ぽっぽ」、「雪やこんこ」などは、日本生まれの最も古い童謡作品として知られるが、これらは1900年に編纂された幼稚園唱歌に収められた名曲である。また「荒城の月」は、ベルギーで讃美歌になったことも判明した。
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1901年(明治34年)4月、日本人の音楽家として2人目にヨーロッパ(ドイツ)のライプツィヒ音楽院(メンデルスゾーン設立)に留学する。文部省外国留学生として入学、ピアノや対位法などを学ぶが、わずか2ヶ月後に肺結核を発病し、1年で帰国を余儀なくされる。その後父親の故郷である大分県で療養していたが、1903年(明治36年)6月29日に23歳の若さで死去した。
墓所は大分市の熊野寺にある。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
瀧 廉太郎、学校の音楽室には写真が飾ってありました。
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